全ての卵が壊れてしまう前に

Humpty Dumpty sat on a wall.
Humpty Dumpty had a great fall.
All the king's horses and all the king's men
couldn't put Humpty together again.

ハンプティ・ダンプティが 塀の上
ハンプティ・ダンプティが おっこちた
王様の馬みんなと 王様の家来みんなでも
ハンプティを元に 戻せなかった


Wikipediaハンプティ・ダンプティの項目より引用

今月15日に作家の村上春樹イスラエルからエルサレム賞を受けると決定した事や授賞式でのスピーチが報じられてから、ネット上でも随分話題になってしまってて、これまでろくに著作を読んでもいない私みたいな人間までまでアレコレ考え込んでしまいました。私なんて元々は読む本と言えばSFだの仮想戦記だの模型雑誌だの、ありていに言えば特定の傾向のエンタメ作品に偏ってる人間な訳ですが、今回の件は現在進行中の民族紛争の当事者に絡む話と言う事でついつい関心を惹かれてしまいました。そういう意味では真面目な文学ファンからするとケシカラン話かもしれないですね(苦笑)
村上春樹パレスチナ人に酷い仕打ちをしてる国から文学賞を受けると言う事に対して、私は最初うちはどちらかと言うと批判的な立場にいました。イスラエルは随分前から非ユダヤ系住民に対して冷淡どころではない扱いをしているのは知ってましたし、つい先頃もガザ地区からのロケット攻撃を止めさせるためと称して民間人の巻き添えも辞さない無差別攻撃*1を行ったばかりでもあったからです。そんな冷酷な事をやって恥じない国から賞を送られて何が嬉しいのだろうか?そんな素朴な疑問を抱いてましたっけ。
しかし、そんな疑問も授賞式のスピーチが法知られてから段々と氷解していきました。(余談ですが最初にその事を教えてくれたのがお袋だったのですが、普段から省略が効き過ぎて要領を得ないシャベリの人なのに無闇に興奮してる性で「村上春樹が卵の側に立つって」を繰り返すだけなのでさっぱり理解できませんでしたw)
閑話休題。結局彼はイスラエルによるパレスチナ人への国家的弾圧に心を痛めているのは確かだと思います。スピーチの中ではっきりとガザ地区における千名を超す民間人の被害数に触れてもいるし、そんな人達を卵に喩えそちらの立場に寄り添う旨の発言をしているからです。*2
また冒頭では先ず小説家である自分を「プロの嘘吐き」と呼び、ついで政治家も嘘吐き呼ばわりしています。聴衆にはこの段階で既にどんなスタンスで話そうとしているのかある程度予想がついてしまう訳で、村上春樹にとってガザ攻撃について触れる事はどうでも良い付け足しではないと理解できてしまいます。見方によっては喧嘩を売ってるとも言える訳で、実際このスピーチに不快感を表した聴衆がいた事が報じられています
では何故、村上春樹はこの時期にエルサレム賞を受け取ったのでしょうか?イスラエルの姿勢を批判したいのであれば拒んだ上で見解を表明しても良かった筈です。現にパレスチナ人の事情を知る人達からはそうするよう申し入れが有ったそうで、彼の選択はパレスチナ人を含むそういった立場の人達の神経を逆撫でしてる面も否定できないでしょう。彼自身そういった事を自覚していてスピーチの中でもしっかり触れています。では何故なのか。
これは個人的な憶測なのですがイスラエル人に壁を越えさせる為、別な言い方をするとイスラエル人が己の立場を離れてパレスチナ人の立場を想像させる為、と言えるのではないかと思うのです。ここで村上春樹が賞を拒んでいたらどうなるでしょうか?恐らくイスラエル人達は即座に「村上は敵に回った」と思うでしょう。その様なスタンスで非難をしてもそれはほぼ間違いなく「敵の言葉」として見られてしまう筈です。そんな色眼鏡で見られてるうちはどれだけ真っ当な事を言っても相手が受け入れる事はまず無いと言っていいと思います。それならばあえて汚名を背負ってでも一旦はイスラエルの権威を認めて、彼らとの間に繋がりを築いてからにしようと考えたのではないでしょうか?つまりは「壁」を越えようとしたのです。
この様な真似は政治家や軍人には出来ません。彼らはあくまで国家に縛られています。彼らの言動は国家のそれと受け取られかねない為、政策に反する事を言う訳にはいかないのです。*3
しかし、一民間人である村上春樹にはその様な縛りは関係ありません。あくまで彼個人の責任において喋る事が出来るのです。そういった自由さが彼をしてイスラエル寄りの立場を取らしめたのだと思います。そして面白いのがここからです。彼がイスラエルの権威を認め賞を受け取ったた以上は、イスラエルの人々はその発言を軽々に否定できないと言う事です。何故ならそこでイスラエル人の見識が問われてしまうからです。村上春樹の人となりを理解せずにウッカリ評価してしまった、そう世間から見られる様になってしまうのです。また、村上自身の口からこの受賞に際して祖国で非難されてる事が語られました。あえて自己の評判を落としてまでイスラエル人の立場を認めたと言う事は誰にも否定できない事実です。そこまでした人の言葉は例え宗教右派の人であっても簡単には否定できないでしょうし、人々の色眼鏡を外すと言う点においてもそれなりの効果が有ったのではないでしょうか?*4イスラエル・アラブの対立構造はある部分からはイスラエル自身の変化が無いと変わっていかないだろうと思います。そしてその様な変化は外からの働きかけではなかなか難しい面が有ります。*5村上春樹は自ら汚名を背負い込む事でこの様な立場に立とうとしたのだと思います。
勿論この事だけで長年の対立構造が一気に変わる訳ではないでしょう。しかし、その様な構造の変革に特効薬が無い以上は、小さくとも時宜を捉えた行動の積み重ねこそが肝要なのではないかと思います。
因みに私がこれだけイスラエルや村上側に肩入れしたような事を書く理由の一つには、かつてユダヤ人が民族差別を受ける側だったと言うのが挙げられます。シオニズム運動が多くのユダヤ人の支持を受けたのも、ヨーロッパ等で受けた差別(その極致がナチスドイツの行ったホロコースト)の結果な訳で、それらの仕打ちが無ければイスラエルが今の位置に再建される事が無かったかも知れないと思うんですよね。そして、あれだけの目に会った人間と言うものは、一体どれだけの傷を負ってしまうものだろうかと考えると単純に彼らの事を斬って捨てられなくなったんですね。そんな立場からすると、この歴史的問題の解消には客観的な判断から厳しく罪を問う事が欠かせないだけでなく、何とかしてその歴史的な傷を癒していく作業も必要なのではないかと言う気もするのです。だからこそ今回、村上春樹イスラエルの立場を一旦は尊重した上で批判もしたと言うのは、とても意義の有る事だったのではないかと思いました。

まぁあとこれは余談なんですが、ガンダムオタク的にはガンダムSEEDシリーズにこういう「越境者的」なキャラクターがいてくれたらな、と思わずにいられません。強いて挙げるならアスラン・ザラセクショナリズム打破を象徴してると言えなくもないですが、どっちかというと「離脱者」としての色が濃いし他者の立場に寄り添って傷を癒したり変化を促したりって訳でもなかったし・・・ラクス・クラインなら軍人と言う縛りが無くてそれなりの事をさせられそうなキャラだったのに毎度毎度軍艦の艦橋に納まってるし。あ〜もぅあのシリーズは不満を言い出したらキリが無いですね(苦笑)
翻って、今やってる00はと言うとお尋ね者になったマリナ姫(+幼児の歌)がそれっぽい働きをしそうでしてないと言うもどかしい状態。専ら主役ロボのギミックばかりが目立つ状況ですが最後の最後できちんと〆てくれるんでしょうか?

*1:国連関連施設にさえも!

*2:スピーチの中では「非武装の市民」とだけ言って、あえて国籍を限定してない点にも注目

*3:田母神元空幕長が非難された理由の一つがこれですね

*4:有って欲しいものです

*5:だからこそ国家は軍事力を備えなければならないとされる訳で